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日本のアニメの行く末


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週末、家の片づけをしていたら、昔にかった「未来少年コナン オフィシャルガイド」なるものが出てきた。この本の気になる記事の中で、コナンの作画監督の大塚康生さんのインタビューがあります。大塚さんは、知ってる人は知ってますが、カリオストロの城でも作画監督をされた方で、宮崎駿氏の初期作品にはなくてはならない方です。このインタビューの最後の話が、これからのアニメ文化について語っており、少し考えさせられる内容であったため一部引用させていただきます。
p.97
●アニメの表現といえば、今はデジタルアニメが全盛ですけれど、そういう風潮についてはどのように感じておられますか?

 そうですねぇ。今はアニメーションという文化そのものがいわば末期的になってるんじゃないでしょうか。
 例えば浮世絵なんかは、明治の末になるとどんどん緻密になっているんですよ。緻密になって血みどろになってね。リアルになるんです。それでそのあとポンと終わる。
 アニメーションも東映動画が本格的な劇場作品を作り出した時を起点として、大体50年くらいでしょう。傾向として、文化は半世紀ほど経つとチマチマしてくるんですよ。ものすごく緻密になって行くわけ。緻密になってディテールを追及し始めると、運命はきまってるんですよね。のびのびしなくなる。で、次の媒体に取って代わられるんですよ。
<中略>
週にテレビアニメーションが100本も作られて、その100本がみんなチマチマアニメーションでね。こうなってしまった時代というのは・・・爛熟してるというか、だいたい文化の頂点だと思うんですよ。だからアニメに代わる何かみんなの心をつかむ面白いものが出てきたら、パーッとアニメ自体への関心が失われるっていうのはあり得ますよね。その面白いのがCGなのかどうかは分かりませんが。


浮世絵の歴史はよく知らないですが、自分が少ししっている印象派の絵では、確かに同じことが起こっている。1860年代から1870年代にモネやルノワールといった初期の巨人が新しく立ち上げた一団は、1910年から1920年代に終わってしまう。
しかも最後の一派は、スーラを筆頭とする点描画を主体とする新印象派。
教科書的だけど、印象派の絵の特徴の一つとして、パレットの上で絵の具の色をあまり混ぜず、遠目でみると色が混ざっているように見えるというのがある。新印象派はそれを突き詰めて、だったら原色の絵の具を使って小さな点を使えば絶対色は混ざらない、とした。
だからスーラの絵は本当に細かくて、よくここまで書いたという感動はある。ただ絵それ自体の感動は全然ない。そして印象派の時代が終わってしまった。

別の話で記憶がソースだけど、ある30年近くやっているロックバンドの人が、「今の若いやつは何なんだ、俺達は30年近く現役だが、俺達を超えるやつが全然でてこない」といったことを嘆いていた。
でもロックバンドはビートルズが出てからすでに50年経っていて、ギターとドラムといった枠の中でやれることはやり尽くされていると思う。すでに成熟した分野だ。ロックバンドに緻密さがあるかどうかは分らないけど、文化としてはある意味古典の領域に入りつつあるのでしょう。

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未来少年コナンオフィシャルガイド―宮崎アニメの原点がよみがえる!!
著者:ブレインナビ
出版社:双葉社
出版日:2003-08
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